宮古島の秘郷・大浦部落

大浦(うぷら)は宮古島の中心地から車で10分。市内にも近く、古くからある由緒ただしい部落です。 それなのに、島の人々にも「大浦ってどこにあるの?」と言われてしまう不思議なところ。 観光名所はないけれど素朴で楽しい大浦部落に住む、早期退職オヤジの暮らしを紹介します。 (注:沖縄では集落のことを部落と呼びます。差別的な言葉ではありません)

なんと! 大浦部落には公民館(ぶんみゃぁ)とは別に集会所があります。
うやき部落さいが!
集会所の前は広い芝生の公園。
大浦湾の向こうに伊良部島の佐良浜部落が見える、最高の眺望♪
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今日は朝6時半にあつまって、みんなで集会場の清掃。
そろそろ雑草が伸びてきたので、みんなで草刈りです。
亜熱帯の宮古島ですから植物はメチャクチャ元気。
ちょっと放置すると、あっという間に道路も公園も草だらけになってしまいます。
男性が刈り払い機で大まかに刈った後を、女性が手鎌で綺麗に刈りとっていきます。
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みんなでやれば、あっという間です!
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大浦部落は島の中でも清掃活動が多いほうみたいで、夏から秋にかけてはひと月に土日の2日間で2回、計4日くらいの清掃があります。
もちろん自由参加で強制ではありませんが、みなさんの参加率は結構高いですね。
部落の道端に雑草が生えてるのは恥!って感じ。
自分の家の前の雑草も、みんなこまめに刈ってます。

清掃が終わった後はみんなでゆんたく(雑談)。
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これが楽しいんですよねー。
島外から移住してきた人も、一緒に汗を流せばすぐに打ち解けることができます。

この集会所は、バスケットボールをする人や楽器の練習をする人、広い芝生に犬を放しに来る人など、みんなが思い思いに楽しんでいる、大浦部落の財産です。
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一年で最も大きく潮が引く旧暦の3月3日は「サニツ」の日です。
大浦の東にある真謝漁港の浜辺も、リーフエッジぎりぎりまで潮が引いています。
遠くに見えるのは大神島です。
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サニツは沖縄ではハマウリ(浜降り)と呼ばれています。
もともとは女性が寄せてくる波を三度またぐ「ミナンガバナ」という儀式で身を清め、一年の無病息災を祈るという、女性だけの行事だったそうです。

近頃は、家族で潮の大きく引いたイノー(サンゴ礁に囲まれた浅い穏やかな海)で潮干狩りをしたり、浜でお弁当を食べる行事となっています。
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普段は歩いては行けないイノーの端まで行って釣りをする人も。
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今日はとても良い天気だったので、私は2か月ぶりに素潜り。
水温は23℃と若干低めですが、3㎜のウェットスーツで寒さを感じることはありません。

昨年のエルニーニョで大規模白化をおこし、大きなダメージを受けた珊瑚ですが、新しいサンゴがちらほらと育ってきています。枝サンゴも回復の兆しが。
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この時期の海は夏に比べて透明度が高く、潜っていても気持ちよいです。
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魚も心なしか多めな気がします。
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この写真は全て素潜りで撮影してます。
スキューバダイビングでなくても十分に楽しめるのが宮古島の海の良いところ♪

昔は足の踏み場もないほどいた、と言われますが近頃ではめっきり珍しくなったウニもいました。
貴重なものですから見つけても、とるのは写真だけにしましょうね。
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宮古島で泳げないのは1月後半から3月上旬の2カ月くらいですね。
もっとも観光客の方々は、その時期でも平気で泳いでいますけど。

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前回、ご紹介した唐井戸(とうがー)を含む大浦の井戸の由来について、平成八年に沖縄国際大学文学部国文科の久高直人さんと宇栄原真知子さんが卒業論文として作成した「平良市北部の民話」から、島民に聞き取り調査を行ったお話しを紹介します。

唐井戸と、唐井戸の隣にある水源の池
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大浦の井戸由来(砂川長吉 大正11年2月25日生まれ)

 昔はよ、唐井戸のあたりも全部砂だったが、最近の桟橋工事の場合にこの砂採ってやるんだよ。うちの畑も全部砂取ってね、土を埋めてあるんだよ。それで、こちらが大浦多志(うぷらだす)が唐から来て見つけた井戸で、唐井戸というわけだね。
 鳥は水浴びして水を飲むでしょ。鳥が回っておるもんだから
 「あはぁ、確か、ここには水のある」
 と言うて、こっち来て、ここから探して、嶺の御嶽の上あたり乗って行って、見て、
 「あはぁ、ここはいいところだな」
 と言うて、こう住み着いたちゅうわけ。

 ここはね、昔から水が無くなったことがない。明治何年かの旱魃には佐良浜や池間なんかもここにサバニ(船)を着けて水を汲みにくるもんだからね、
 「汲まさん」
 と言うてずうっと番をしとったらね、
  「これ、水はね、全部(全員の意味)の命だから、そういう事はしないで全部に汲ませなさい」
 と言って、全部に汲ませたけど、それでももう全然減らんってよ。
 これは消防の車を二台くらい連れてきて上げても絶対に減らない、大変な水さ。
 それに、この水はどういうわけか石灰分も鉄分も全然ないよ。昔はここが飲料水で、うちもここに汲みに来たよ。近頃はね、水道の水飲んで、消毒せんから誰も恐れて飲まんだけで、ここの水は特別旨かったよ。だから元井戸(もとがー)と言うてね、ここを離れて沖縄や、八重山や、与那国に行って、向こうで成功しておる人が、ここから水を汲んでいってお祀りするわけさ。

 これ、今でもこっちから湧いてね、ここは水が一杯溜まっておって、ずっと海に流れておるからよ。今、もう馬も牛もおらんけど昔は馬も牛も使っておったからね。儂なんか終戦後まで、ここで馬も洗うし、牛も洗うし、また人間もね、ここで洗濯もするし、お芋も洗うし、水も浴びておった。
だけど猪もここに水を飲みにくるもんだから、うちのここの上にある畑も猪が全部キビを喰うて大変だったんだよ。
 猪もここの水を飲んで生きておるんだから飲ませないために塞ぐわけにもいかんし、厄介だけど、どうもできんさ。また、ここはこんな大きい鰻がね、今でも何十もおるよ。夜にはこっちに行って、こんな大きい奴が草も喰うておったというんだから、西原(大浦の隣部落)の連中に儂が教えたら
 「そんならあんたが行って獲ってこい」
 と言うんで自分で獲りに行ったら、こんな奴が獲れてよ。そうさな、2、30㎏はあったんじゃないかな。前は大雨が降るたんびに、ようその辺に流れて来たからね。獲ったもんだ。

 ここのンザ井戸という井戸はね、ニシャグ豊見親(とうゆみゃ)が見つけたかどうかわからんけどよ、おの大きい組石な、ニシャグ豊見親がこれをよ、運んで造ったという話があって、その大きい石なんかも今もあるわけだ。だからニシャグ豊見親という人は相当力のある人じゃなかったですか。
 このンザ井戸は洞穴だからね、飲み水をここで汲んでおって、洗濯とかの雑用水もここで汲んでいた。だけど、昔の宮古上布を作って出していた時代の染め物の藍にはね、ここの水は容易に使わさなかったって。
 昔は、もう部落全部使っていたもんだからね、朝も4時、5時になったら行って汲みよった。儂らの小さい時から青年になるまでさ。終戦十カ年後くらいまでは桶とか石油缶で、ここからぼこぉんと汲みよって使っていたわけ。
 それで水はいっぱいあって、ずうっと向こうにこうして流れていたさ。で、ここの洞窟はここら辺の部落の下ぐらいまでは、ずうっと通っているわけ。それで水はあるしね、上が頑丈だからね、戦争中は、ここ全部が防空壕でよ、兵隊なんか、ここら辺の部落の人なんかが、ここの奥までいっぱいおって、食い物を持ってきてここで炊いて食べたよ。でも今は水道ができてから、全然使わんもんだからね、その辺の土が流れてきて埋まっていて、水が全然無いさ。

 それから銭井戸(じんがー)はよ、昔、水の湧くのが少ないから掃除しよったら、昔の銭がよ、いっぱい出てきたって。金が湧いたということは、その辺に中国人なんかが持っていた金を落としたんじゃないかなぁ。金の事を昔の年よりは銭(じん)と言うたでしょ。それで昔の爺さんなんかはここを銭井戸と言うておる。
 今はもう畑になっとるが、前はこっちから水がぼろぼろ湧いていたんだよ。だから西の里は世の井戸(ゆーぬがー)は使わんで、この川を使っていたんじゃないかと爺さんなんか言うよ。それで東は唐井戸を使っていたって。 
 もううちの祖父さんなんかの屋敷は、キビ畑にあって井戸のそばにうちがキビを植えている畑でも、うちの屋号が唐屋(とうやー)だから、大浦の人はそこを唐井戸原(とうがーはら)と言うんだよ。
 こっちのンザ井戸と唐井戸というところはね、今でも部落全部で一カ年に1,2回掃除してね、水祭りと言うて、おばぁなんかが来てお供えをするさ。


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2016年12月17日
唐井戸(とうがー)の清掃を行いました。
かつては大浦部落の水がめとして、清掃や祭礼をかかさずに、とても大切にされてきた井戸ですが、水道の普及と住民の高齢化で、いつしか祭礼も絶えて荒れるがままに放置されていました。

それを見かねた下地博和自治会長が、もう一度、かつての井戸の姿を取り戻そうと発案し、今回の清掃となりました。
部落総出で回りの雑草を刈り、溜まった泥を取り除きます。
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大浦部落の司を務めてきた宮国トヨさんに、井戸の神様にお話しをしていただき、全員でお祈りを捧げます。
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この井戸は外周道路を大浦湾側から部落方面に右折して、小川にかかる橋の右手にあります。
昔は、この井戸から水を朝晩汲んでくるのが子供の仕事。

井戸の前には川の源になる池があります。
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昔は何倍も大きく深い池だったそうで、ここで泳いだり、馬を洗ったり、ウナギを獲ったりと、みなさんが色々な思い出をお話してくれました。

井戸の前には古い手水鉢が。
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実は、この井戸は大浦部落の開祖と深い縁があります。
次回は、そのお話しをしましょうね。

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大浦部落は、宮古島の中心地である平良市街から北に、車で約10分ほどのところにあります。
西と東の海に挟まれ、夏でも海風が心地良い過ごしやすい集落です。
人口は約100名。御多分に漏れず高齢化していますが、島外に就職した方のUターンや、内地から移住したIターンもあり、部落の歴史と伝統を守ってのんびりと暮らしています。

主な産業は農業で、サトウキビ栽培が中心です。
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部落の西側の海には大浦漁港があり、湖のように穏やかで遠浅の海です。
ここではモズクの養殖がおこなわれています。
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東側の海は南洋らしくサンゴ礁が発達していて、リーフエッジを超えると20m以上も深くなります。
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対照的な二つの海に挟まれているので、大浦の人は大地の恵みと豊富な海の幸に恵まれているんです。

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